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ページ名:八甲田山雪中行軍遭難事件
一言感想
これで映画を作ったんじゃないかってくらい読み物的なページ
感想
映画八甲田山の元となる事故の八甲田山雪中行軍遭難事件の話である。
Wikipedia文学として注目が集まっており言われなくなった2025年現在でも意外に読み物的で経緯、遭難の道のり、生存者など全部が揃っている。
まるで本当は冒険小説を書きたいのに出版社の意向でノンフィクション小説を書かざるを得なかった小説家のようだ。
文学的なのは分かったが、ではちゃんと内容がある記事なのか?って不安になる人がいると思うが勿論、内容はある。
冬山、杜撰な装備、急ごしらえの隊長、そして明治時代という時代の怖さが分かる。
これから無謀な登山をしようとしている人に見てほしい。
今の時代は優れているという事と冬山は怖いと言う事である。
時代
大規模な遭難事故が起きたのは明治時代である。
当たり前のようにGPSはないし高精度な天気予報、さらに携帯できる無線すらない。
まだ宇宙開発が盛んではないので当たり前ではあるが。
さらに言えば装備も貧弱である。今みたいに防寒着という物は勿論ない。
じゃあ何を装備していたのかというと防寒できるのは毛糸の外套と軍帽くらいである。
今の登山家どころか元自衛官が見たら山を舐めるなと言わんばかりの装備である。
ただ明治時代という事は忘れてはいけない。冬山を知る概念がなかったのだ。
そして時代も時代で日清戦争直後で日露戦争直前なのが急がせた。
この時代は富国強兵の時代であった。だから大した研究とかは出来ず突貫的な行軍になっていた。
隊長と将校
演習中隊長は神成大尉である。ただ悲劇の隊長でもある。
実は前任者は出産の立会いで解任され数週間前に急に決まった隊長である。なので冬山は何の知識もない素人である。
簡単に言うなら大規模なプロジェクトの3週間前に課長が会社を辞めて臨時の課長になってしまった感じである。
さらに言えば彼自身は秋田出身だが他の人でリンクがある将校を見てみると東京府や武蔵国と言った雪国の出身ではない。
そう。実は将校の大半は雪国の出身ではない。これもトラブルに繋がる。
もう一つの雪中行軍
実は同じくらいに八甲田山雪中行軍をやった人達がいた。それが弘前連隊である。
大量の死者を出したのは第5連隊とは違い、こっちは負傷者1名のみで死者はいない。
少人数だったことや、地元の青森県民が多いなど色々あるが一番は目的の違いであろう。
第5連隊はロシアを想定した訓練であり弘前連隊は雪中行軍の服装や方法を見つける実験である。
結構、目的が違うのは留意してほしい。弘前連隊による結果を待たずに他の部隊に雪中行軍をやる陸軍も陸軍である。
ただ弘前連隊を率いた福島大尉も悲惨な死を遂げる。日露戦争で戦死したのだ。
無事に帰った人達を率いた人の悲しい結末である。
現在
第5連隊の流れを組んだ陸自第5普通科連隊は今でも雪中行軍をやっている。
ただ装備は近代化されている上、防寒に適したものになっている。
そして死者は出たが遭難ではなくガス中毒である。これは八甲田山の記事で紹介したが活火山なのである。
弘前連隊による行軍も無駄になってないって事の証明である。研究がなければ今でも犠牲者が出ていたのは容易に想像できる。
総評
多くの死者を出した事故、八甲田山雪中行軍遭難事件の記事であった。
その後、小説になり映画になった。
神成大尉がモデルになった役を北大路欣也さんが演じ、福島大尉がモデルになった役を高倉健さんが演じた。
それがあって、この事故は広く知れ渡る事になる。
流石はWikipedia文学と呼ばれるだけあって読破感が物凄いある。
ただ読んでいて気分が良くなる記事ではないので、そこは留意してほしい。