ブログ記事
タイトル:創造とは基準を下げること
筆者:elm200の日記
一言感想
ハッとさせられた記事 その心意気でやらないと創作は難しいってことでもある
感想
何か作り出すときに一番重要なのは自分の中での基準を下げるべきという記事である。
ハッとさせられた記事である。僕は筆者とは逆に「かなり基準を上げて完璧な記事を作るべき」と考えていた。
そして批判を受けたら開き直るより、その人がどうやったら納得するのか?という感じに考えろとは思っていた。
ただ沢山の意見を聞いてしまうと個性が無くなった酷い物が出来上がるのも知っている。
この記事で一番重要だと思うポイントは挫折を経験しろって事である。
実はここを言いたいがために意外と創作の道は簡単と書いてあるように見える。
意外と優しいように見えて厳しめのブログ記事である。
評価
筆者の自分の文章の基準はこれである。
こうやって書くブログエントリーの文章の質が高いとは思っていない。内容は薄く、細かい部分では言い回しがおかしいところがあったり、正直、ボロボロだ。
ただ僕的にはそうは見えない。正直に言って為になる文章もあるからだ。
この記事を見たら意外と創作って簡単なんだなって思う。
それも筆者は想定内ではあるのがこの一文で分かる。
要するに、人は自分のアウトプットを正しく評価できないのである。
そう。自分の評価と他人の評価って全く違うことがあるのだ。
例えば自分の中では100点だと思っているが他人から見れば30点になることもあれば自分の中では30点だと思っているが他人から見れば100点になることもある。
なのでくだらない物でも良いからバンバン作って投稿しろって言うのがこのブログである。
基準
この部分でハッとした。
「お前の作り出すものなんかつまらないし、誰も関心を持たないし、恥をかくだけだ」という自分の中の「自己検閲警察」を抑え込むことが重要なのだ。とにかく表現して外に出すことが重要なのだ。
正直言うと僕のブログやnoteは恥ずかしい物だと思っていた。なので人に見せたくないものの一つではあった。
ただDiscordで紹介したり見てもらうと意外な反応が帰って来る事も多かったのも事実である。
- 僕に校正の不備を指摘した人
- 素直にブログを褒めてくれた人
- 記事を読んでくれた人
- 面白い発想として褒めてくれた人
など殆どは肯定的な意見であった。特に助かったのは一番上の人だ。
この人は僕のブログを見るやいなや校正の不備を指摘した。
正直、怖かったが嬉しかったのである。指摘する人なぞいないのだから。
その人の言う事を聞いて校正するようにはしている(やっぱり個人なのでミスはあるが)。
ただ重要になるのは次の事である。
挫折
ここまで見たら無責任に創作を勧めるヤバい人にしか見えないが、ここをよく読むと評価が変わるかもしれない。
比較せずにいらないなら、大いに比較したらいい。そして諦めるのだ。「この人みたいにはやれない」と。
凄い遠回しに言っているが言ってる事は挫折を経験しろってことなのである。
僕も、いつもはてなブログのトップに上がってる人やランキングを見てると僕の記事が拙く感じてしまう。
それくらい自分の文は評価が低い。しかも見てくれる人もトップブロガーと呼ばれる人たちに比べて全くと言っていいほど少ない。
ただ筆者はこう言っている。
そこであきらめるのではなく、開き直ったらいい。「自分にはこれしかできない。それで文句あるか」と。
正直に僕にはとてもない発想であった。つまり挫折を経験して開き直れという事である。
諦めないで頑張れというエールにも感じられる。
挫折して諦めるのは簡単だが挫折しても続けるのは至難の業である。
意外とそれが出来ない人が多い。現実逃避するか諦めるかの2択である。
総評
とにかく表現しろ!ただし挫折からは逃げるな!という意志が感じられるブログ記事であった。
僕はこのブログのおかげで意識が変わるかもしれない。
僕は完璧主義的な一面があり、とにかく完璧にしないと人は見てくれないと思ってしまう。
ただ、このブログでは完璧なのよりも挫折的な経験の方がいい経験になると言っている。
これは正直に見てためになったブログ記事の1つである。